2009年06月17日

攻城塔(こうじょうとう)は、古代から中世にかけて

攻城塔(こうじょうとう)は、古代から中世にかけて用いられた攻城兵器。攻城櫓(こうじょうやぐら)とも呼ばれる。

木造の移動式やぐらで、城壁に板を渡して兵士を城内に乗り込ませ、また最上階に配置した射手により城壁上の敵を制圧するのが目的である。 古代から地中海世界・西アジア・中央アジア・中国の諸文明、中世ヨーロッパや戦国時代の日本など、極めて広範囲に普及した。
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多くはその場で集めた木材で建てられ、梯子または階段を備え、城壁に乗り移るための渡り板を備えた階の他に、射手のための足場または床板があった。火矢などで焼かれぬように、直前に剥いだ荷役獣などの生皮を前面や側面に張った。破城槌と組み合わせたものも存在した。攻め込む城壁までの移動には大勢の手で押したり、滑車を併用したりした。したがって短所として進軍速度が大変遅い事、平地以外の高低差の激しい地形、地面が不安定な地形では使用が困難である事が挙げられる。火薬とそれを利用した兵器の発達によって、大砲が優れた攻城兵器として使用されるようになると、攻城塔は次第に使用されなくなっていった。

有名な攻城塔には、ディアドコイ戦争の一つであるロードス包囲戦でマケドニア軍が使用した、中に様々な種類や大きさの弩砲やカタパルトを何段にも装備した巨大な攻城塔ヘレポリス(Helepolis)。ロシアのイヴァン4世がカザニを包囲する際に使用したグーライゴロドなどがある。

2009年05月31日

唐が各地に軍閥とも言える節度使の割拠を許し

続く五代十国時代の騒乱に至ったことに鑑み、世宗・太祖・太宗は、地方に強い力を持つ節度使の勢力を殺いで中央を強化する「強幹枝弱」政策を取り、そして科挙を大幅に拡充し、文臣官僚制が完成の域に達した。春秋戦国時代、魏晋南北朝時代、五代十国時代といった群雄割拠の状況は、これ以降の中華王朝では、近代にいたるまで見られなくなる。

宋代の支配体制は唐代の貴族層が五代十国の騒乱で没落した後に、士大夫と呼ばれる新しい層が中心となる。学問を積み、科挙に合格して官僚となる事で、貴族のように血縁により尊崇されるのではなく、科挙の合格者を出して顕官に登る事で周囲の尊敬を集め、地方の顔役的存在となり、財産を築く。反対に言えばどんなに財産を積んでいようと出世する人間がその一族から出なければ、尊敬は受けられず、財産もいずれは消滅してしまう事になる。

この士大夫の権勢の源は国家の官僚であるということから来ており、貴族とは違って皇帝を離れて権勢を維持することは出来ない。更に太祖はひとつの役職に対してそれに対抗する役職を新設するなど出来る限り一つの役職に権限が集中しないようにし、簒奪劇が二度と起こらないように留意した。皇帝がこれらの士大夫出身の官僚を手足として使い国政に当たる体制は、「皇帝専制」・「君主独裁」とも称される。ただ、その一方で、真宗の没後に年少若しくは病弱な皇帝が相次ぎ、宋皇室とは血縁関係のない、皇太后及び太皇太后が皇帝の職務を代行し、政治を安定させたことは注目に値する。

宋初からの元豊の改革までの官制は唐末から五代にかけて形成されていたいわゆる使職体制を受け継いでいる。唐の律令体制に於いては極めて細密かつ完成された官制が整備されていたが、唐玄宗期以降の急激な社会の変化に対して対応できず、実態との乖離が進んでいた。そこで実態に即するために律令にて定められていない官(令外官)の使職が置かれ、律令の官は形骸のみを残し、実権は使職に移った。
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唐滅亡後の五代に於いても新たな官が色々と付け加えられ、宋が成立した後も太祖・太宗は成立まもない国家が混乱することを恐れ、節度使の権限を削るなど不可欠な所を修正はしたが根本的・体系的な官制作りには手を出さなかった。それに加えて寄禄官や職(館職)といった実際の職掌を示さない職の号があるために宋初の官制は歴代でも最も解りにくいといわれる。

中書門下省
民政を司る。長官は同中書門下平章事(略して同平章事。2ないし3名)。同中書門下平章事を助ける参知政事(2名)。主に高級官僚の人事を行う。なお中書省・門下省は形骸だけながら別に存在している。
枢密院
軍政を司る。長官は枢密使・副長官は副枢密使(又は知枢密院事・同知枢密院事)であり、その下に簽書枢密院事・同簽書枢密院事などの役職がある。
このうち、同中書門下平章事は宰相、参知政事・枢密使・副枢密使(知枢密院事・同知枢密院事)は執政と呼ばれ、合わせて宰執と呼ばれる。この数人の宰執が皇帝を前にして合議制で政策を決定する。つまり宰相と言えども議論の場の中の一人に過ぎず、権臣に皇帝の座を脅かされることを嫌った太祖の措置の一つである。

これ以外で重要な部署には以下のようなものがある。

三司
財政を司る。唐制の戸部、唐代に設置された使職の塩鉄部・度支部が合体して出来たものである。長官は三司使・各部ごとに三司副使が一人・判官三人が付く。
翰林学士
皇帝の命令を詔勅として文章化する役職。宋になって詔勅の数が増えたことから重要でないものを取り扱う知制誥が新設された。翰林学士は宰執へのエリートコースとされた。
御史台
監察を司る。唐制から引き継いだものの中で実際の職掌を維持している稀有な部署。長官は御史中丞。
大理寺・審刑院
刑罰を司る。詳しくは#司法の節を参照。
唐の三省・六部・九寺・五監の役職は全てその名を残している。しかしこれらには実際の職掌は無く、単に官位・俸禄を示すものである。これを寄禄官(官・本官などとも)と言い、これに対して実際の職掌は差遣という。またこれとは別に職(館職)がある。館職は文章・学問に秀でた者に対して、試験を行って任命される差遣の一種で、これを帯びた者は昇進の速度が格段に早くなった。

2009年04月28日

アンダーソン

ベネディクト・アンダーソンの主著『想像の共同体』は「新しい古典」とも言われ、ナショナリズム論に関する必読書の一つとなっている。書名にもなっている「想像の共同体」とはネイション自体を指す。ネイションは言語、文化、遺伝的近親性(人種)などを共通項として形成されるとされるが、ネイション内にも文化的差違は存在するし、全成員が血で結ばれているネイションはほとんど存在しないなど、いずれも決定的な要因ではない。むしろ実際に血がつながっているかということなどは問題ではなく、これらの要素を共有していると想像し、成員が「共同幻想」を共有することによってネイションは成立しているとされる。すなわちネイションとは「心に描かれた想像の政治的共同体である」。アンダーソンは前近代の小さく同質性の高い共同体が「想像の共同体」であるネイションに拡張された要因を出版資本主義の発展に求め、ネイションの公用語たる世俗語による新聞が「想像の共同体」形成に大きく寄与したとする。このようにネイションの形成過程の考察にかんして事実上の標準に近い位置にあるアンダーソンであるが、最近ではグローバリゼーションに対応したナショナリズムである「遠隔地(遠距離)ナショナリズム」という概念を提示している

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アントニー・D・スミスは前近代に見られたネイションに似た民族集団を「エトニ」と名づけ、近代の産物であるネイションとは区別した。ネイションはあるエトニが他の周辺エトニを包摂していくことによって成立したとされ、近代以前からの古いエトニの伝統を引き継ぎつつも、近代に成立した新しい存在であるとされる。またスミスはエトニを貴族的な水平エトニと平民的な垂直エトニに分け、両者の性質の違いから個々のエトニの動員力や連続性、拡張性を説明している。スミスは近代主義を批判しているが、必ずしもアンダーソンと主張が対立するわけではない。むしろ、中核エトニが周辺エトニを包摂していく過程にかんしてはアンダーソンの想像の共同体を援用すらしている[8]。アンダーソンも前近代における共同体の存在は否定しておらず、血縁などによるなど狭い範囲の共同体が近代になり、より広い共同体の一部となったとしていることから、スミスとアンダーソンの主張は、近代主義とその批判というよりも、相互に補完しあうものとなっている。アンダーソンが「遠隔地ナショナリズム」と呼ぶ現象についても、スミスは「代償ナショナリズム」として言及している。

2009年04月12日

恐竜をめぐる文化

恐竜はその大きさゆえに「強い」「恐ろしい」「残忍」などのイメージが一般的である。小学生や古生物マニア等には人気の生物で、デパート等が客寄せに恐竜展などを開催することもある。

いわゆる怪物、怪獣は空想上の化け物であるが、特に爬虫類の姿をモチーフにした大型の怪物は洋の東西を問わずポピュラーであり、竜やドラゴンがその例である。これに近世になって知られるようになった恐竜を見て取る声もある。「恐竜が現在に姿を現したら?」という想像は多くの人々を魅了した。そのごく初期の例がコナン・ドイルの『失われた世界』である。同様の発想から作られた映像作品は特撮にひとつの流れを作り、怪獣映画を生み出した。いわゆる怪獣には恐竜をモチーフにしたものが多く知られる。日本の怪獣のうち、たとえばアンギラスはアンキロサウルス、ゴロザウルスはアロサウルスと、それぞれ実在の恐竜に由来するという設定である。

1990年には、作家マイケル・クライトンが遺伝子工学により恐竜を現代に蘇えらせるという小説『ジュラシック・パーク』を発表、スティーヴン・スピルバーグによる映画版ではILMの製作したリアルなCG恐竜が話題を呼び、世界中に恐竜ブームを巻き起こした。以後その続編や『ダイナソー』『ウォーキングwithダイナソー〜驚異の恐竜王国』などのCG恐竜映画が製作され、他にもCMやPVなど3DCG作品において恐竜(特にティラノサウルス)は定番のキャラクターのひとつとなっている。

分類 [編集]
恐竜は、寛骨臼(かんこつきゅう)に穴をもち仙椎が3個以上など共通の特徴をもつ。 骨盤の形状の違いによって、竜盤類 Saurischiaと鳥盤類 Ornithischiaの2つに大きく分類される。

恐竜の分類はジャック・ゴーティエが1986年に分岐分析法により作成した系統樹により大きく変貌している。鳥類が恐竜(獣脚類)から分岐したこともこのときに示されている。 ゴーティエの仮説は1990年代以降に相次いで発見された中国東北部の羽毛恐竜の化石により実証が進み、恐竜の分類における分岐分析法は現在ではなくてはならぬ主流の学説となっている。

竜盤類 Saurischia [編集]

獣脚亜目 Theropoda

?エオラプトル科 Eoraptoridae - エオラプトル
?ヘレラサウルス類 Herrerasauria
ヘレラサウルス科 Herrerasauridae - ヘレラサウルス、レヴェルトラプトル
スタウリコサウルス科 Staurikosauridae - スタウリコサウルス (三畳紀、南米)
グアイバサウルス科 Guaibasauridae - グアイバサウルス
新獣脚類Neotheropoda
ケラトサウルス下目 Ceratosauria
コエロフィシス上科 Coelophysoidea
ゴジラサウルス Gojirasaurus
コエロフィシス科 Coelophysidae
プロコンプスグナトゥス亜科 Procompsognathinae - プロコンプソグナトゥス
コエロフィシス亜科 Coelophysinae - コエロフィシス、サルトプス、メガフォサウルス
?ハルティコサウルス科 - ハルティコサウルス、ディロフォサウルス
ネオケラトサウルス類 Neoceratosauria
ケラトサウルス科 Ceratosauridae - ケラトサウルス
アベリサウルス上科 Abelisauroidea
アベリサウルス科 Abelisauridae
アベリサウルス亜科 Abelisaurinae - アベリサウルス
カルノタウルス亜科 Carnotaurinae - カルノタウルス、インドスクス、マジュンガサウルス、ルゴプス
ノアサウルス科 Noasauridae - ノアサウルス,マシアカサウルス、ヴェロキサウルス
テタヌラ下目 Tetanurae
?クリオロフォサウルス Cryolophosaurus
Megalosauroidea
スピノサウルス科 Spinosauridae - スピノサウルス、バリオニクス、スコミムス、イリテーター
メガロサウルス科 Megalosauridae - メガロサウルス、アフロベナトル、ミフネリュウ、トルボサウルス
アヴィテロポーダ類Avetheropoda(新テタヌラ類 Neotetanurae)
カルノサウルス類Carnosauria
アロサウルス上科 Allosauroidea
モノロフォサウルス Monolophosaurus
シンラプトル科 Sinraptoridae - シンラプトル、ヤンチュアノサウルス、スゼチュアノサウルス
アロサウルス科 Allosauridae - アクロカントサウルス
アロサウルス亜科 Allosaurinae - アロサウルス、クリオロフォサウルス、サウロファガナクス
カルカロドントサウルス亜科 Carcharodontosauridae - カルカロドントサウルス、ギガノトサウルス
Allosaurus fragilis(アロサウルス・フラギリス)の爪のレプリカ
コエルロサウルス類 Coelurosauria
?ウネンラギア科 - ウネンラギア
?オルニトレステス科 Ornitholestidae - プロケラトサウルス、オルニトレステス
コンプソグナトゥス科 Compsognathidae - コンプソグナトゥス、シノサウロプテリクス(中華竜鳥)
コエルルス科 Coeluridae - コエルルス、デルタドロメウス、オルニトレステス、エピデンドロサウルス
ティラノサウルス上科 Tyrannosauroidea
ティラノサウルス科 Tyrannosauridae - ティラノサウルス、アルバートサウルス、タルボサウルス、エオティラヌス、アウブリソドン
オルニトミモサウルス類 Ornithomimosauria
オルニトミムス科 Ornithomimidae - オルニトミムス、ストルティオミムス、ガリミムス
マニラプトル類 Maniraptora
?アルバレッツサウルス科 Alvarezsauridae
Oviraptoriformes
オヴィラプトロサウルス類 Oviraptorosauria
Chuniaoia
アビミムス科 Avimimidae - アビミムス
Caudipteridae
Caenagnathoidea
カエナグナサシア科 Caenagnathidae
オヴィラプトル科 Oviraptoridae - オヴィラプトル、インゲニア、インキシボサウルス
テリジノサウルス類 Therizinosauria
テリジノサウルス上科 Therizinosauroidea
テリジノサウルス科 Therizinosauridae - テリジノサウルス、セグノサウルス、アラシャサウルス
原鳥類 Paraves
ペドペンナ Pedopenna
?Scansoriopterygidae
デイノニコサウルス類Deinonychosauria
トロオドン科 Troodontidae - トロオドン、メイ
ドロマエオサウルス科 Dromaeosauridae - ドロマエオサウルス、デイノニクス、ヴェロキラプトル
鳥類 Aves(現生鳥類の先祖)
竜脚形亜目 Sauropodomorpha

テコドントサウルス科 Thecodontosauridae - テコドントサウルス
原竜脚下目 Prosauropoda
?アンキサウルス科 - アンキサウルス
プラテオサウルス科 Plateosauridae - プラテオサウルス、ウナイサウルス、マッソスポンディルス
メラノロサウルス科 Melanorosauridae - メラノロサウルス
マッソスポンディルス科 Massospondylidae - マッソスポンディルス、ルーフェンゴサウルス
竜脚下目 Sauropoda
?ウルカノドン科 Vulcanodontidae - ウルカノドン
真竜脚亜目(エウサウロポーダ類) Eusauropoda
?イービノサウルス
マメンチサウルス類
マメンチサウルス科 Mamenchisauridae - マメンチサウルス、チュアンジェサウルス
ケティオサウルス類
ケティオサウルス科 Cetiosauridae - ケティオサウルス、ロエトサウルス
ジョバリア科 - ジョバリア
Omeisauridae
新竜脚類 Neosauropoda
ハプロカントサウルス Haplocanthosaurus
ディプロドクス類 Diplodocimorpha
レバッキサウルス科 Rebbachisauridae
ディプロドクス上科 Diplodocoidea
Flagellicaudata
ディプロドクス科 Diplodocidae
アパトサウルス亜科 Apatosaurinae - アパトサウルス
ディプロドクス亜科 Diplodocinae - ディプロドクス、セイスモサウルス
ディクラエオサウルス科 Dicraeosauridae - ディクラエオサウルス、アマルガサウルス、レッバキサウルス
マクロナリア類 Macronaria
カマラサウルス類 Camarasauromorpha
カマラサウルス科 Camarasauridae - カマラサウルス
ティタノサウルス上科 Titanosauriformes
?アンデサウルス科 - アンデサウルス、マラウィサウルス
ブラキオサウルス科 Brachiosauridae - ブラキオサウルス
ティタノサウルス上科 Titanosauria
ラペトサウルス亜科 Rapetosaurinae - ラペトサウルス
サルタサウルス亜科 Saltasaurinae - ティタノサウルス、サルタサウルス、アラモサウルス

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2009年03月28日

HIV-1の生物学

形態 [編集]
成熟したウイルスの形状は球状の粒子であり、直径は約100nmである。球形の膜に囲まれた中心に、ウイルス遺伝子RNAとGAGタンパク質からなる核様体がある。核様体はGAGタンパク質のマトリックス(MA, p17)、キャプシド(CA, p24)、ヌクレオキャプシド(NC, p7)と2本のRNA、そしてプロテアーゼ(p10)、逆転写酵素(p66/p51)、RNaseH(p15)、インテグラーゼ(p31)などのウイルス酵素群からなる、正十二面体の結晶構造をしている。ウイルスの表面はエンベロープタンパク質であるGp120およびGp41と、宿主細胞膜由来の膜タンパク質が主成分である。


遺伝子 [編集]
ウイルス粒子中のRNAはプラス一本鎖のRNAである為、宿主内ではmRNAの構造となる。RNAは5'末端にキャップ構造を持ち、3'末端にポリAを持つ。RNA全長はおよそ9000塩基対であり、9個の遺伝子と、両端にウイルスの転写及びその制御を行う配列を持つ。ウイルスRNAは逆転写酵素(RT)によって二本鎖DNAに変換され、インテグラーゼによって宿主DNAに組み込みプロウイルスを形成する。


LTR [編集]
LTR(Long Terminal Repeat)はウイルスゲノム両端にある、ほぼ同じ塩基配列が繰り返されている領域である。転写制御を行うプロモーター、エンハンサー、NRE(Negative Regulatory Element)を有している。また、ウイルスゲノムを宿主ゲノムに挿入するインテグラーゼの認識配列がある。このように、LTRは核酸の制御を行う配列がまとまっている領域である。
ちぇりもや 変わら ラビリティ サーミ サフィニア マンダ ロイワ モナムール セーター チたねもみ セイロ スパチュラ カーバ スキー トンカツ オーバ スパート ディーエー 激しい 地球 しらあや タンニン デラッ チャペル ブレスト オリーブ ウィン べにいろ バラード マレイド せっつ フローシー ファイター レランス ユート 甚兵衛 スウィング バイオ アーコ のつ国内 レトリ パッション セレブ オペック ケルビン メンヒル にらめっこ サンゴ とまこまい イアク

gag [編集]
gag (group specific antigen) は、ウイルスの構造タンパク質をコードしている。翻訳されたタンパク質は、ウイルスのプロテアーゼによって6つのタンパク質とペプチドに切断される。

MA - マトリックス(matrix)の略である。MAは中心部の核様体と外套部(エンベロープ)を繋げる役割をもつ。タンパク質の質量からp17とも言われる。
CA - キャプシド(capsid)の略である。CAは核様体の基本骨格であり、正十二面対の構造を形成する。タンパク質の質量からp24とも言われる。
p2 - CAとNCの間にある、スペーサーペプチドである。
NC - ヌクレオキャプシド(nucleo capsid)の略である。ウイルスのゲノムRNAに直接結合し、RNAの凝集および保護を行っている。外側をCAに覆われて核様体を形成する。タンパク質の質量からp7とも言われる。
p1 - NCとp6の間にある、スペーサーペプチドである。
p6 - 細胞内でGAGタンパク質やVprを細胞膜に集め局在させるモチーフがある。このモチーフを破壊するとウイルスは出芽できなくなり、増殖する事ができない。

pol [編集]
pol はgag の下流にある、ウイルス酵素群をコードしている遺伝子が結合した領域である。pol は開始コドンを持っておらず、リボソームがgag のmRNAを-1フレームシフトする事によって翻訳される。従って、翻訳産物はGag-Polの融合タンパク質となる。そしてフレームシフトした結果、プロテアーゼが翻訳され自己消化し、プロテアーゼを融合タンパク質から切り出す。そしてプロテアーゼは残りのPolタンパク質を消化して、各ウイルス酵素を切り出す。

pro - プロテアーゼ(protease)の略である。翻訳産物は二量体を形成するアスパルティックプロテアーゼであり、活性中心にはアスパラギン酸、スレオニン、グリシンからなるアスパルティックプロテアーゼ特有のモチーフを持つ。プロテアーゼは翻訳後、オートプロセッシングによって切り出された後、ウイルスのタンパク質を切断する。細胞質中での活性は低いが、ウイルスの発芽後にウイルス粒子内のpHが変わり最適な状態になると、Gag、Gag-Polを切断し、成熟(mature)したウイルス粒子を完成させる。ウイルスの成熟、各種ウイルス酵素の活性化に重要な役割を果たしているため、プロテアーゼ阻害剤による化学療法のターゲットとなった。
RT - 逆転写酵素(reverse transcriptase)をコードしており、プロテアーゼによって切り出された後、完全長のp66と一部プロセスされたp51とが二量体を形成する。レトロウイルス特有の逆転写を行う酵素であるため、逆転写酵素阻害剤による化学療法のターゲットとなった。RTによる逆転写はフィデリティ(正確性)が低い為、しばしば突然変異を引き起こす。このRTの不正確さがウイルスの変異を早める結果となり、ワクチンの作成を困難にし、更に薬剤耐性ウイルスの出現の要因となっている。
RNaseH - 一部プロセスされたRTの残りの部分p15には、RNaseHとしての機能領域がある。RNaseHは、DNAとRNAのハイブリッドからRNAだけを特異的に分解する酵素である。逆転写酵素がRNAを鋳型にDNAを合成した後、鋳型であるRNAを分解する事に作用している。
IN - インテグラーゼ(integrase)の略である。インテグラーゼは翻訳後に多量体を形成し、逆転写されて二本鎖DNAになったウイルスゲノムを、宿主ゲノムに組み入れる働きを持つ酵素である。ウイルス特有の酵素である為、その阻害剤 (en:Raltegravir) が開発され、米国で認可された。

vif [編集]
vif(Virion Infectivity Factor)は細胞質に存在し、ウイルス粒子が感染性を持つようになる因子であると考えられていた。しかしvif変異体の研究では、宿主細胞によって機能がまちまちであり、機能がはっきりしていなかった。近年の研究により、ウイルスRNAから複製されたDNAのマイナス鎖中で、シチジン残基をウラシルに変換し、レトロウイルスゲノムを破壊する細胞内因子APOBEC3Gの抑制に関与する事が判明した。詳細な機構は完全に解明されていないが、Vifが細胞自身のユビキチン-タンパク質リガーゼのいくつかと複合体を形成し、それによってAPOBEC3Gをタンパク質分解酵素の標的にし、APOBEC3Gを破壊する事で、HIV-1のゲノムがダメージを受ける事を回避させていると考えられている。

vpr [編集]
vpr(Viral Protein R)にコードされているタンパク質は、感染初期に必要なタンパク質であり、ウイルス粒子内に取り込まれる唯一のアクセサリータンパク質である。Vprの機能は多岐にわたり、代表的な機能としてサイトカインの合成阻害、アポトーシスの抑制、細胞分裂をG2/M期で阻止する事が挙げられる。その為、HIV-1の毒性を高める大きな要因となっている遺伝子である。発現はRevに依存して行われる。

vpu [編集]
vpu(Vilal Protein U)はHIV-1だけにみられる遺伝子であり、そのタンパク質はEnvタンパク質を細胞膜に集める役割がある。細胞膜に局在するが、ウイルス粒子内には取り込まれない。

tat [編集]
tat(Trans AcTivator)は転写活性因子をコードする遺伝子である。5'末端のLTR内にあるTAR(Trans Activation Responsive region)に結合し、ウイルス遺伝子の転写を促進させる。遺伝子はイントロンを持ち、転写後スプライシングされ翻訳される。

rev [編集]
rev にコードされているタンパク質はRNAの輸送と分配に作用する。遺伝子はイントロンを持ち、転写後スプライシングされ翻訳される。Revの活性領域に宿主由来の核タンパク質が結合して、RNAを核から細胞質へと輸送する。

env [編集]
env はウイルスを覆う殻となるタンパク質をコードしている。エンベロープは始めGp160として翻訳され、宿主細胞由来のプロテアーゼ切断されて、Gp120とGp41になる。宿主細胞表面のレセプターに結合し、宿主細胞へウイルスを侵入させる役割を持つ。

Gp120
Gp41

nef [編集]
nef(NEgative Factor)にコードされているタンパク質は、宿主の細胞膜に局在し、宿主の細胞表面でCD4抗原の発現を抑える働きがある。またNefはMHC-1を抑制する事から、ウイルスのエピトープが細胞表面に提示されず、感染細胞がキラーT細胞(CTL)によって傷害されなくなる。この事から、AIDS発症に重要な役割をしていると考えられている。実際にnefを欠損したHIV-1感染者では、病態の進行が遅く、長期にわたってAIDSを発症しないことが確認されている。

2009年03月12日

神学者聖ヨハネ修道院と黙示録

「神学者聖ヨハネ修道院と黙示録の洞窟を含むパトモス島の歴史地区(ホーラ)」は、ユネスコの世界遺産登録物件の一つ。ギリシャの小島パトモスの中心市街ホーラは、丘の上に立つ神学者聖ヨハネ修道院を外敵から守るべく要塞化した町である。

世界遺産への登録に当たっては、この場所が正教会の重要な巡礼地となってきたことや、聖ヨハネが福音書や黙示録を執筆したことにまつわると伝えられる場所が残っていることなどが評価された。なお、一連のヨハネ文書を執筆したのが全て聖ヨハネかどうかについては議論もあるが、世界遺産登録では伝統的な見解が踏襲されている。
1080年に、東ローマ帝国コムネノス王朝のアレクシオス1世は、正教会のクリストドゥーロスにパトモス島を下賜した。これがきっかけとなり、1088年から丘の上に神学者聖ヨハネ修道院の建造が行われた。

カトリコン(Katholikón, 身廊)、中央教会、資料館、聖マリア礼拝堂などからなる修道院で、周辺を黒みがかった城壁に囲まれている。16世紀になると、創立者クリストドゥーロスの聖遺物を納めたクリストドゥーロス礼拝堂も建てられた。
黙示録の洞窟は、ホーラとスカラ(港)の間の斜面にある、聖ヨハネが啓示を受けたとされる洞窟で、彼が啓示を受けたとされる場所や神の声が下ったときに割れたとされる岩などが残っている。
ルリマ カントリー おいずり ファラオ オーチャ バイバル ロカアォ パーカー トリミン ティラピ オール リージョ ダリア ドゥー ラーゲ ジフ スピコン プロテーゼ ツィリング アフロ 月下美人 シュート ソムリ レイド エアポ ピンポ レーキ パナビ いまかね ドレッ あかんち モルツ カイア スキッ チャートポ ベガス 紅葉 華ごころ リスト サーボ サイト紙燭 テレメ パステ コース オーナブリ ダット サーチアウト すなのみ ブールマ リーダー

ホーラ(「主要な町」)は、海賊などの侵攻から聖ヨハネ修道院を守るために建造された要塞都市で、丘の上にある修道院を囲むように形成されている。現存する町並みは16世紀にまで遡るもので、黒ずんだ城壁が特徴的な修道院とは対照的に、ホーラの歴史的建造物群は純白の外観を呈している。

2009年02月24日

人工無脳(じんこうむのう)

人工無脳(じんこうむのう)とは、人工知能に対応する用語で、英語圏ではchatterbot、もしくはchatbotと呼ばれ、その訳語として会話ボットあるいはおしゃべりボットとも呼ばれることがある。

ボトムアップ的な人工知能のアプローチでは「人らしさ」に到達するまでの道のりが遠いので、トップダウン的に「人らしさ」のモデルを作りこむことで「人らしさ」を作り出そうとする立場。およびその立場で作られたシステム・モデル・ソフトウェアなどを指す。

会話ボットは、1人以上の人間とテキストまたは音声で知的な会話をすることをシミュレートするプログラムである。一見して知的に人間の入力を解釈して応答しているようだが、会話ボットの多くは単にキーワードを拾って、内部のデータベースとのマッチングによって、最もそれらしい応答を返しているだけである。

1966年にジョセフ・ワイゼンバウムがELIZAと呼ばれるchatterbotシステムをアメリカで発表し、これを参考に様々なchatterbotシステムが生まれ、進化を遂げた。この過程で日本にも輸入され、日本語という英語などと比較して特殊な言語を土壌として日本独自の進化を遂げてきた。しかし、当時のソフトウェアやハードウェアで現存するものは少なく、具体的にどのような進化を辿ってきたのかは定かではない。 なお、日本独自の進化をせざるを得なかった日本語の特殊性として最も大きなものに、通常は英語などのように分かち書きされていない(単語同士がスペースで区切られていない)ため、どこまでが単語であるかを判断するのが困難であったという点が挙げられる。現在では形態素解析などの日本語解析の手法を用いることで、英語などの分かち書きを行う言語に近い土俵に立てるようになったと言える。

検索エンジンやエキスパートシステムなど、人らしくはないものの役には立つ「人工知能」に対して「人工無能」と呼ばれたのがこの語の起源であるが、「無能」のネガティブなイメージを嫌われ、2004年現在では「人工無脳」という表記のほうがメジャーである[要出典]。

日本ではパソコン通信のサービスのひとつ「チャット」においてメジャー化された。 当時は漢字入力ができないことが普通で、カタカナだけの会話であったため、読みやすくするためにわかち書きにすることが一般的であった。 そのため構文解析の手間が少なく、知能エンジンの洗練化が進んだ。 しまいには会話の相手が人間なのか人工無能なのか区別がつきにくくなり、人工無能の会話にはそれと示すマークをつけるようにされた。

有名な人工無脳として、「ゆいぼっと」や「伺か」、「読兎」、「人工無能うずら」、「ししゃも」がある。SCEの開発したゲームソフトであるどこでもいっしょのキャラクター「トロ」やWindows Live メッセンジャー のアドバイザー「まいこ」なども人工無脳に類するキャラクターである。
せいぜつ デスマ バグパイ セミナー ユビキノン バラック フロック ダバッグ パンパ ソドミー リング ウォーム ジョーズ ドーミ クロスバ サイバー バンガ ハミング メンソール しろかもめ ポトス ロリズム ニング ヨヒン ハイク ナビ雑草 レモネード ダウラギ イロード テーション テンショ フルベ ビーフシ マーメ ステイ レリック げんこつ スレーブ フラグ トップモー ランドレ チュクチ モノマー ニーズ トラポコ テンポ エニグ ギャラリー ラスト マーキュリ

手法
会話をよく理解することで、意味のある対話が続けられるが、ほとんどの会話ボットはそれができていない。その代わり、会話ボットは人間の発した特定の単語やフレーズを認識することで「会話」することが多い。そうすることで会話を真に理解していなくとも、意味がある(通る)ように見える事前に準備された応答を返すことができる。

例えば、人間が "I am feeling very worried lately,"(私は最近とても心配だ)と入力したとき、会話ボットは "I am" というフレーズを認識し、そこを "Why are you" に置き換えて最後に疑問符をつけ "Why are you feeling very worried lately?"(なぜあなたは最近とても心配だと感じているのか)と応答する。同様の手法として、例えば著名人の名前を人間が出してきたとき、それが内部のデータベースにあれば "I think they're great, don't you?"(彼らはすごいよね)などと応答する。特に会話ボットの仕組みを知らない人間はこのような手法によって会話が成り立っていると感じさせられる。会話ボットに批判的な者はこのような錯覚をELIZA効果と呼ぶ。

会話ボットに分類されるプログラムの中には異なる原理で動作するものもある。例えば Jabberwacky では、人間が新たな事実や言語を学ぶ方法をモデル化しようとしている。ELLA は自然言語処理の技法を利用してもっと意味のある応答をしようとしている。ユーザインタフェースとして自然言語を利用する SHRDLU のようなプログラムは、会話の領域がそのプログラムの知っているシミュレートされた世界に限定されるため、会話ボットとは呼ばれないのが一般的である。逆に SHRDLU などは内部のシミュレートされた世界に関する知識に基づいて会話しているため、会話ボットよりも人工知能としてのレベルが高い。

初期の会話ボット
初期の会話ボットとしては、ELIZA と PARRY がある。その後、Ractor、Verbot、A.L.I.C.E.、ELLA などが登場した。

会話ボットの研究分野としての成長により、様々な目的の会話ボットが作成されてきた。ELIZA や PARRY はある型にはまった会話だけに使われたが、Ractor は The Policeman's Beard is Half Constructed という物語を「書く」のに使われた。ELLA は会話ボットの可能性を広げるため、ゲームや役に立つ機能を各種搭載している。

会話ボット(ChatterBot)という用語は1994年、Verbot や Julia といった会話ボットを開発した Michael Mauldin が Twelfth National Conference on Artificial Intelligence で発表した論文で、この種の会話プログラムを指す言葉として使ったのが最初である。

悪意ある会話ボット
悪意ある会話ボットを使って、インターネット上のチャットルームをスパムであふれさせたり、他者の個人情報を明かすようそそのかしたりする状況がしばしば見られる。このような会話ボットは Yahoo! Messenger、.NET Messenger Service といったインスタントメッセンジャーサービスや特定のコミュニティのチャットルームなどに出現する。

人工知能における位置づけ
最近の人工知能(AI)研究は実用性のある技術的課題に重きを置いている。これを弱いAIと呼び、知性と推論能力を必要とする強いAIと区別している。

AI研究の一分野として自然言語理解の研究がある。弱いAIにおいては、自然言語理解のための特殊なソフトウェアやプログラミング言語を利用する。例えば、最も人間に近い自然言語を話す会話ボットである A.L.I.C.E. は AIML という特殊な言語を使っている。A.L.I.C.E. も推論などとは無縁な単なるパターンマッチングに基づいて動作し、これは1966年の最初の会話ボット ELIZA と基本的に変わっていない。

Jabberwacky や Kyle はそれよりも若干強いAIに近く、ユーザーとのやり取りから学習し、新たなユニークな応答を生成することができる。これらはある程度の効果を発揮するものの、様々な自然言語にまつわる問題への対処はまだ十分ではなく、汎用的な自然言語による対話が可能な人工知能は未だ存在しないと言わざるを得ない。このため、ソフトウェア開発者はこういった技術をより実用的な目的(情報検索など)に応用する方向に向かっている。

チューリング・テストの議論では、人工知能が真の知性を持っているかを判断することの難しさが指摘されている。例えば、ジョン・サールの中国語の部屋やネッド・ブロックのBlockheadなどがよく知られている。

2009年02月08日

チンイルパ

親日派(しんにちは)とは、主に韓国や朝鮮民主主義人民共和国において日本や日本人に好意的な言動を示す人たちを指す語(親日)であるが、韓国併合などの歴史問題などから転じて売国奴などの否定的な意味合いも包括する。これらの国では、中立的な語として代わりに「知日派」が用いられる。
ハンモ サイクロ ジャイル ダゴン ローツェ 夕立ち クフルト マーガ 白菜 エゴイ シプリン ヒート サテラ 黄昏 あくび ぞくげん スコール おきなれ プリスクール トーラス ブルー オートオオ レモンピー 天永 リュード フキ ギアシ ルクセン ジャイロ サイド ジェット ダックス フレア 四天王 マンゴー ピアニスト モヒカン ナビむつ デザイン キュー きつき ストップ じょうさい ヒヤシンス シュミナ リフネ メゾネット イング ダッシュ リング

なお、一般に日本で使われる日本に好意的な言動を示す人たちを表す語は「親日家」である。そのため日本において「親日派」を用いる場合は、特に韓国や北朝鮮を背景としていることが多い。

このページでは、韓国や北朝鮮における「親日派」について記載する。「親日家」としての意味は、「親日」や「知日派」を参照のこと。

外交史料館等の資料を検索する限り、朝鮮半島地域において明治後期から大正、昭和(終戦前)までは現在の親日派の意味での報告は無い[1]。初代韓国大統領李承晩政権の施行した反民族行為処罰法(1948年9月 法第3号)に代表される猛烈な反日キャンペーン[2]によって親日派=反民族行為者認定と排斥から発生し[3]、1960年代に活躍した在野の研究者林鐘國の『親日文學論』で明確な親日行為と親日派の定義を与えているのが韓国出版物での初見である。なお、林鐘國の遺志を継ぎ設立されたのが民族問題研究所、及び統一時代民族文化財団とその傘下の親日人名辞典編纂委員会[4]であり、盧武鉉大統領指名の政府委員会である親日反民族行為真相糾明委員会とも構成人員で重複している部分がある。また、同委員会の構成員の中に父親が旧陸軍の憲兵だったなど親日派を糾弾するには余りに杜撰すぎる編成、そして事後法ではないかという批判も根強い。

親日派研究として李光洙等の研究が本格化するのは1990年代に入ってからである。
定義
朝鮮語においては親日は日本語における字義どおりの意味ではなく反民族的な響きを伴う[5][6]。意味としては日本語でいう売国奴や非国民に近い。

韓国では公的、狭義には日露戦争以降、日本統治時代における親日反民族行為者、また、より広義、一般的な意味としては、韓国と日本が戦うとき、日本の肩を持つ日本びいきの人のことを指す[7]とされる。前者の意味するところは、日本語の売国奴に等しいが、後者の場合でも通常反民族的行為と捉えられる。

日本統治時代以降の人物でも日本の統治を肯定・賞賛・賛美したり、領土、慰安婦、教科書、海外遠征売買春など日韓で問題となっている事柄について、日本寄りの意見や、韓国・朝鮮においてみなされる日本人の右派と同様の発言をしたり(『良心的韓国知識人』)、韓国の冷静さに欠ける行為を日本と比較し意見すると親日行為ととられ批判の対象となる。特に、日本の統治を肯定的に捉える意見を述べた、金完燮、呉善花、韓昇助といった人たちは新親日派とも呼ばれる[8][9][10]。

韓国政界においては過去の日本統治協力的行為を槍玉に挙げ政敵を攻撃する場面がしばしば見られる[11]。先祖によるものであっても実際に親日反民族行為が確定すれば失脚は免れない。北朝鮮系WEBサイト「我が民族同士(ウリミンジョクギリ、??????)」は、2006年に自民党の招きで来日した朴槿恵を、「日本の歴史歪曲と独島への野望などに言及しなかったことは親日売国行為である」と批判した。韓国政界だけでなく、芸能界でも親日や倭色は避けるべきタブーとされる[14][15]。『殴り殺される覚悟で書いた親日宣言』を著した趙英男は、産経新聞とのインタビューで竹島や教科書問題の対応は「日本の方が一段上」と述べたことや、2005年に制定された島根県の竹島の日でさらに高まっていた反日感情のあおりを受け、テレビの司会を降板し親日発言を謝罪した[16]。

一方、似たような意味の朝鮮語として日派 (??、イルパ/ilppa) がある。これは、盲目的な熱狂的日本ファンを指し、通常、これに「民族意識を喪失した無思慮な」という意味が付け加えられる[17]。親日派とは語源を異にしているが同様に警告的・侮蔑的な意味で用いられる。一方、日派では無思慮さ・無分別さに重点が置かれ、通常政治的、歴史的な意味合いは薄い。

その後、親日派の語は用いられ方が拡散し21世紀に入ってからは「日本による植民地支配の肯定面」を述べる者にも援用されたり、発言者自身が親日派を自称するケースが出るなどしている。親日派を自称する背景には、日本を好いているのではなく、自国の政策への批判と皮肉を表している場合も多い。

現在の日本に好感をいだいている、あるいは親しみを感じているという人は、少なからずいるとされ、日韓関係の改善により年を経るごとに増加中であるとされてきたが、現在では減少しているという、韓国の有力新聞・中央日報の調査による統計もある[18]。ただ、この調査では好きな国を一つしか挙げられないため、広義的な意味では、知日派はこれよりも多いと予想される。

日本に好感を持つこと自体がタブー視されてはいないが、このような人たちは、知日派と呼ばれ、日本を知る者という意味で使用される[19]。国際交流基金、川越市他共催の第38回・外国人による日本語弁論大会において、『隣の韓国人』を発表した李尚洛(イ・サンラク)のスピーチでも知日派という使用がみられる。

親日反民族行為者清算
1948年8月の大韓民国政府樹立後、反民族行為処罰法を制定、1948年10月1日には同法に基づき反民族行為特別調査委員会(反民特委)を設置した。しかし、親日派の経歴がある警察幹部らが逮捕されるにいたると、李承晩大統領は1949年6月にソウル市警により、反民特委の事務所を包囲、所属の特警隊を解散させた。その後、反民族行為処罰法が改正されると反民特委の調査委員らが7月に総辞職した。8月、公訴期限が完了、408件の令状が発付された。9月、反民特委調査機関特裁附隨機関廃止法案が可決され、 12月には反民族行為裁判機関臨時組織法案が可決された[4]。

特別裁判機関には559件が渡され、このうち221件が起訴された。特別法廷はこのうちの38件を審査し、死刑一件を含む12人に有罪判決を下し刑を執行した。その他のうち、18人は公民権を停止され、他6人は無罪、残り2人は有罪だが刑の執行は免除された。しかし、最高裁は朝鮮戦争直前の1950年3月、死刑執行を停止した[20]。このような背景から、日本統治時代の反民族行為者の清算が不完全であると考える者も多かった。

2004年3月2日には、それまで何度も不成立となった親日反民族特別法が盧武鉉政権を生んだ親北朝鮮的、民族主義的な政治情勢の元で成立した。日本では韓国に批判的な勢力がこれを冷ややかに受け止めているが、韓国内ではこれを過去精算の一環として支持するもの、傍観するもの、実質的な事後法による処罰であるとして批判する者などもおり反応は様々である。

歴史的な人物に関しては李完用や、洪思翊などが親日派として知られる[21]。 この法律に対して韓国のメディア[22]などから事後法ではないかとの批判が有る。親日派というのはほぼ市民権の剥奪に近いため、この法が適用される対象となる個人に対しては韓国国民も同情的である。経済に疎く、人気取り以外に威信浮揚の手段が無い盧武鉉政権の無為無策を覆い隠す為の施策という意見も強い。

また、2005年には親日派に認定された人物が植民地支配への協力によって不正に入手したとされる財産を没収するための「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」が成立している。これら親日派と認定された人物はそのほとんどが死去しており、実際にはその子孫からの財産没収となる。そのため、財産権の侵害や親族への連座制ではないかとの指摘もある。実質的には明らかに没収という刑事罰的内容を含んだ事後法であり、政府による弾圧ではないかと非難する意見も多い。

『親日派のための弁明』を書き猛烈な非難を国中から浴びた上に名誉毀損と外患煽動の容疑で告訴され一時逮捕された金完燮や、『殴り殺される覚悟で書いた親日宣言』で番組降板の憂き目に遭った趙英男[23]のように親日派を自ら名乗る者も現れた。これらの現象からも、親日派の指す意味あいが変化していることがわかる。つまるところ、下記のように親日派であるのを理由として迫害を受ける傾向にある。

2005年8月には、韓国の民間団体民族問題研究所とその傘下の親日人名辞典編纂委員会が独自に認定した日本統治時代の親日家3,090人の実名を記したリスト本が出版され[24]、このリストの中には大韓民国陸軍参謀総長、韓国首相、国会議長をつとめた丁一権、大韓民国軍初の大将白善燁、東亜日報の創立者金性洙、朝鮮日報の社長だった方應謨、大韓民国大統領朴正熙、太極旗を考案した李氏朝鮮の政治家朴泳孝、現行の1万ウォン札に使われている世宗の肖像画を描いた韓国画壇の巨匠、金基昶などが含まれており、実名を公表された人物や遺族から反発を受けている。

政府レベルとしては2006年12月6日、親日反民族真相糾明委員会が106人を記した名簿を確定し、2007年5月2日に日本の植民地統治に協力した「親日派」9人について、その子孫らが所有する土地などの財産(時価36億ウォン相当/日本円にして約4億8000万円)を没収することを決定した。(ただし先述の親日反民族特別法等の様にこれらの行為は大韓民国憲法における第13条第2項及び3項(所謂法の不遡及)、第17条?19条(秘密と自由を保障する条文)に反する。なお大韓民国ではこれ以前にも光州事件特別法に関して大統領のみ在任中の時効を停止するなど事実上罪を遡及させた事例がある)

2009年01月23日

コジュケイ

コジュケイ(小綬鶏、学名:Bambusicola thoracicus )は、鳥綱キジ目キジ科に属する鳥類の一種である。狩猟鳥である。

小型のキジ類で体長は25?ほど。キジやヤマドリと違って尾が短く、ウズラよりは一回り大きい。オスメスは同色で褐色系の色彩だが、頬から喉にかけて鮮やかな赤褐色の部分が目立つ。腹部は他よりも明るめの黄色い地に黒褐色の斑紋がある。

分布
原産地は中国南部と台湾だが、20世紀はじめに狩猟の対象にするために日本に持ち込まれた外来種である。日本で初めて放鳥されたのは、1919年頃東京都と神奈川県とされている。それ以来野生個体は各地で繁殖し、いまや普通種となっている。温暖地方の鳥で寒さに弱く、分布は宮城県など東北地方南部が北限で、積雪の多い日本海側には分布しない。

亜種
コジュケイは中国大陸に分布する亜種B. t. thoracicus Temminck と台湾に分布する亜種B. t. sonorivox Gould に分けられる。台湾亜種はタイワンコジュケイ(別名でテッケイともいう。学名はB. sonorivox)とされることもある。

日本各地に生息するのは亜種B. t. thoracicusだが、亜種B. t. sonorivoxも兵庫県神戸市付近で野生化している。

生態
分布する地方では留鳥で一年中見られる。雑木林の豊富に残る田園地帯や里山などに多い。雑食性だが、植物の葉や実などの植物食が中心といわれる。その他、昆虫類やミミズなど。用心深い性格で、林の下生えや藪の中に潜み、あまり姿を見せないが、早朝?午前中にかけて、えさを探しに開けたところに複数の個体で出てくるのを目撃することが多い。

繁殖期は5?6月で、このときのオスの鳴き声が特徴的である。ヒヨドリにも似た大きな叫び声を「ピーッ!ピーッ!ピピーッ!」と挙げたあと、速いテンポの「ピッピュクァイ!ピッピュクァイ!」という鳴き声に移行し、その後テンポが遅くなって鳴きやむ。「ピッピュクァイ!ピッピュクァイ!」の部分が「ちょっと来い!ちょっと来い!」と聞きなされているので、「姿を知らなくても鳴き声は知っている」という人が多い。

繁殖期にはつがいで生活し、地面を浅く掘り枯れ草を敷いた巣を作る。産卵期は5-6月で7-8卵を産む。孵化した雛は短期間で巣から離れ、親とともに行動する。夏季には、よく雛を連れたつがいを見かける。また、1年に2回繁殖する。

シラコバト(白子鳩、学名:Streptopelia decaocto)は、ハト目ハト科に分類される鳥類の一種。

全長約33cm。雌雄同色。全身が灰褐色で、背と尾は褐色みが増す。

分布
ユーラシア大陸、北アフリカ

日本に生息する個体は江戸時代に移入されたものが野生化したといわれるが、もともと生息していたという説もある。一時期は生息区域が関東地方北東部(千葉県北部、茨城県北西部、埼玉県東部)にまで狭められ、そのため天然記念物にも指定されたものの、最近は群馬県南部でも生息が確認された。
チルー オストメ ミモレ サイド ジャック プレクリ スコポフ きゅうてい スパイス ウフジ ラップ トーシュズ サイレン ノーカ キンセン チャイルド スター ホンコン デックス きゅう メトセク ルーキー バリヤー シュルレ フォトス フィブリン トリプタン ソユーズ ワゴン シェア すあわ ステージ ボケSEO ムルロ グルベド どふぇ ユニオ スマッ ブレテ アイス テーブル ファシズム 男船日本 未来地図 端玉アク シブシップ 長崎赤 ケイトウ モンゴ サイフォン

人間とのかかわり
埼玉県の県鳥及び越谷市の市の鳥であり、埼玉県のマスコットコバトンのモチーフにもなっている。童謡『はとぽっぽ』は鳴き声をモチーフにしたとされている。

シラコバトを由縁から埼玉県の施設としては越谷市にしらこばと水上公園がある。また、同市のキャンベルタウン野鳥の森では、2008年08月01日より雄雌2羽ずつ計4羽の展示が行われている。

ソウシチョウ(相思鳥、学名Leiothrix lutea)は、鳥綱スズメ目チメドリ科(ヒタキ科とする説もあり)に分類される鳥類。

インド北部、中国南部、ベトナム北部、ミャンマー北部に自然分布。日本、ハワイ等に移入。

日本国内では留鳥として生息する。現在、関東、東海、近畿、中国、四国、九州の各地で繁殖が確認されており、関東では筑波山、近畿では六甲山系、九州では九重山系によく見られる。なお日本以外ではハワイ諸島で観賞目的で放鳥されたことがある。

形態
全長14cm。背面の羽毛は暗緑色。眉斑から頬は薄い黄色、咽頭部の羽毛は黄色で胸部は濃いオレンジ色、翼に黄色と濃い赤の斑紋がある。

幼鳥の嘴は黒いが、成長に伴い赤くなる。体色に雌雄の別はないが、メスの体色はオスのそれより幾分薄くなる。

生態
ササ類の繁茂する標高1000m以下の常緑広葉樹林、落葉広葉樹林に生息する。またこういった藪の中に営巣し、越冬期は標高の低い地域に移動し、主に竹林や笹藪に生息し小群をなす。カラ類との混群をなすこともある。

食性は雑食で、昆虫類、果実、種子等を食べる。

繁殖形態は卵生で、1回に3個の卵を産む。

名の由来
つがいのオスとメスを分けてしまうとお互いに鳴き交わしをするため、相思鳥の名がついたと言われる。ちなみに中国現地名は「紅嘴相思鳥」である。

英名には代表的な Red-billed Leiothrix のほかに Pekin Robin, Pekin Nightingale, Chinese Nightingale などがある。数ある英名の一つに Japanese Hill Robin があり、またオランダ名はJapanse nachtegaalであるが、日本在来の野鳥ではない。

2009年01月16日

坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)

キシラン ノート ローズ マッハ リボ デリバラ 田舎国 ゴマナ ゲート フォトモ ザンス カッコー コッチ チリン シャー タジーン メーカ ディング モード アップ クロゼ レイオ モラトリ ダイキリ サイリウム レセプト クオリア ロトロン シーラーズ プルマン タリフレ ハッチ カップ ブローシャー オレキシン タバーン ノード ビッシング ヒットラー タッチ きくま 深呼吸 ゾディア はつう パラコート マスコ 和銅 しちの トラック ビヨウ

坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、平安時代の武官である。名は田村麿とも書く。正三位、大納言兼右近衛大将兵部卿。勲二等。死後従二位を贈られた。

中央で近衛府の武官として立ち、793年に陸奥国の蝦夷に対する戦争で大伴弟麻呂を補佐する副将軍の一人として功績を上げた。弟麻呂の後任として征夷大将軍になって総指揮をとり、801年に敵対する蝦夷を討って降した。802年に胆沢城、803年に志波城を築いた。810年の薬子の変では平城上皇の脱出を阻止する働きをした。平安時代を通じて優れた武人として尊崇され、後代に様々な伝説を生み、また戦前までは、文の菅原道真と、武の坂上田村麻呂は、文武のシンボル的存在とされた。

父は坂上苅田麻呂で、坂上氏は田村麻呂の祖父の犬養、と苅田麻呂ともに武をもって知られた。妻は三善清継の娘高子。

子に大野、広野、浄野、正野、滋野、継野、継雄、広雄、高雄、高岡、高道、春子がいた。春子は桓武天皇の妃で葛井親王を産んだ。滋野、継野、継雄、高雄、高岡は「坂上氏系図」にのみ見え、地方に住んで後世の武士のような字(滋野の「安達五郎」など)を名乗ったことになっており、後世付け加えられた可能性がある。子孫は京都にあって明法博士や検非違使大尉に任命された。

田村麻呂は、天平宝字2年(758年)に坂上苅田麻呂の次男(「坂上氏系図」)または三男(「田邑麻呂伝記」)として生まれた。田村麻呂は近衛府に勤務した。

田村麻呂が若年の頃から陸奥国では蝦夷との戦争が激化しており、延暦8年(789年)には紀古佐美の率いる官軍が阿弖流為の率いる蝦夷軍に大敗した。田村麻呂はその次の征討軍の準備に加わり、延暦11年(791年)に大伴弟麻呂を補佐する征東副使に任じられ、延暦12年(793年)に軍を進発させた。この戦役については『類聚国史』に「征東副将軍坂上大宿禰田村麿已下蝦夷を征す」とだけあり、田村麻呂は四人の副使(副将軍)の一人ながら中心的な役割を果たしたらしい。

延暦15年(796年)には陸奥按察使、陸奥守、鎮守将軍を兼任して戦争正面を指揮する官職をすべてあわせ、加えて翌年には征夷大将軍に任じられた。延暦20年(801年)に遠征に出て成功を収め、夷賊(蝦夷)の討伏を報じた。

いったん帰京してから翌年、確保した地域に胆沢城を築くために陸奥国に戻り、そこで阿弖利為(阿弖流為)と母礼ら五百余人の降伏を容れた。田村麻呂は彼らを許すことを主張したが、都の貴族は反対し、二人を処刑した。延暦22年(803年)には志波城を造った。

延暦23年(804年)に再び征夷大将軍に任命され、三度めの遠征を期した。しかし、延暦23年(804年)に藤原緒嗣が「軍事と造作が民の負担になっている」と論じ、桓武天皇がこの意見を認めたため、征夷は中止になった(徳政相論)。田村麻呂は活躍の機会を失ったが、本来は臨時職である征夷大将軍の称号をこの後も身に帯び続けた。

戦功によって昇進し、延暦24年(805年)には参議に列した。大同元年(806年)に中納言、弘仁元年(810年)に大納言になった。この間、大同2年(807年)には右近衛大将に任じられた。また、田村麻呂は京都の清水寺を創建したと伝えられる。史実と考えられているが、詳しい事情は様々な伝説があってはっきりしない。

平城上皇と嵯峨天皇が対立したとき、田村麻呂は上皇によって平城遷都のための造宮使に任じられた。しかし薬子の変では嵯峨天皇についた。子の坂上広野は近江国の関を封鎖するために派遣され、田村麻呂は美濃道を通って上皇を邀撃する任を与えられた。このとき田村麻呂は、身柄を拘束されていた文室綿麻呂を伴うことを願い、許された。平城京から出発した上皇は東国に出て兵を募る予定だったが、大和国添上郡越田村で進路を遮られたことを知り、平城京に戻って出家した。
田村麻呂は弘仁2年(811年)5月23日に54歳で病死した。嵯峨天皇は哀んで一日政務をとらず、田村麻呂をたたえる漢詩を作った。死後従二位を贈られた。 墓所は、京都市山科区の西野山古墓と推定される。

年譜
和暦 西暦 日付 年齢 事柄
宝亀11年 780年 23歳 近衛将監になった。
延暦4年 785年 11月25日 28歳 正六位上から従五位下に進んだ。
延暦6年 787年 3月22日 30歳 内匠助を兼ねた。
9月17日 30歳 近衛少将になった。
延暦7年 788年 6月26日 31歳 越後介を兼ねた。
延暦9年 790年 3月10日 33歳 越後守を兼ねた。
延暦10年 791年 1月18日 34歳 軍士と兵器の点検のため東海道に遣わされた。
7月13日 34歳 征東副使になった。
延暦11年 792年 3月14日 35歳 従五位上に進んだ。
延暦12年 793年 2月17日 35歳 征東副使が征夷副使に改称になった。
2月21日 36歳 辞見した。
延暦13年 794年 6月13日 37歳 坂上田村麻呂以下が蝦夷を征した。
10月28日 37歳 大伴弟麻呂が戦勝を報告した。
延暦14年 795年 2月7日 38歳 従四位下に進んだ。
2月19日 38歳 木工頭を兼ねた。
延暦15年 796年 1月25日 39歳 陸奥出羽按察使、陸奥守を兼ねた。
10月27日 39歳 鎮守将軍を兼ねた。
延暦16年 797年 11月5日 40歳 征夷大将軍になった。
延暦17年 798年 閏5月24日 41歳 従四位上に進んだ。
7月2日 41歳 清水寺を建立した。
延暦18年 799年 5月 42歳 近衛権中将になった。
延暦19年 800年 11月6日 43歳 諸国に移配する夷俘を検校した。
延暦20年 801年 2月14日 44歳 節刀を受けた。
9月27日 44歳 蝦夷の討伏を報告した。
10月28日 44歳 帰京して節刀を返した。
11月7日 44歳 従三位に進んだ。
12月 44歳 近衛中将になった。
延暦21年 802年 1月9日 45歳 造陸奥国胆沢城使として遣わされた。
1月20日 45歳 度者一人を賜った。
4月15日 45歳 阿弖利為と母礼等500余人の降伏を容れた。
7月10日 45歳 阿弖利為と母礼を伴い入京した
延暦22年 803年 3月6日 46歳 造志波城使として辞見した。
7月15日 46歳 刑部卿になった。
延暦23年 804年 1月28日 47歳 再び征夷大将軍になった。
5月 47歳 造西寺長官を兼ねた。
8月7日 47歳 和泉国と摂津国に行宮地を定めるため三島名継とともに遣わされた。
10月8日 47歳 藺生野の猟に従い、物を献じて綿二百斤を賜った。
延暦24年 805年 6月23日 48歳 参議になった。
10月19日 48歳 清水寺の地を賜った。
11月23日 48歳 坂本親王の加冠に列席し衣を賜った。
大同元年 806年 3月17日 49歳 皇太子が桓武天皇の死を悲しんで起きなかったので、田村麻呂と藤原葛野麻呂が支えて下がった。
4月1日 49歳 藤原雄友に従い誄を奉った。
4月18日 49歳 中納言になった。
4月21日 49歳 中衛大将を兼ねた。
10月12日 49歳 陸奥・出羽に擬任郡司と擬任軍毅を任ずることを願い、認められた。
大同2年 807年 4月22日 50歳 右近衛大将になった。
8月14日 50歳 侍従を兼ねた。
11月16日 50歳 兵部卿を兼ねた。
大同4年 809年 3月30日 52歳 正三位になった。
弘仁元年 810年 9月6日 53歳 平城京の造京使になった。
9月10日 53歳 大納言になった。
9月11日 53歳 薬子の変の鎮圧に出撃した。翌日、上皇の東国行きが阻まれ、変は終わった。
10月5日 53歳 清水寺に印を賜った。
弘仁2年 811年 1月17日 54歳 孫の葛井親王の射芸を喜んだ。
1月20日 54歳 渤海の使者を朝集院で饗した。
5月23日 54歳 山城国の粟田の別宅で死んだ。
5月27日 山城国宇治郡七条咋田西里栗栖村に葬られた。従二位を贈られた。
10月17日 墓地として3町を賜った。

田村麻呂伝説
後世、田村麻呂にまつわる伝説が各地に作られ、しだいに膨らんで歴史上の田村麻呂とかけ離れた人物と筋書きを生んだ。伝説中では、田村丸など様々に異なる名をとることがある。平安時代の別の高名な将軍藤原利仁の伝説と融合し、両者を同一人と混同したり、父子関係においたりすることもある。伝説中の田村麻呂は蝦夷と戦う武人とは限らず、各地で様々な鬼や盗賊を退治する。鎌倉時代には重要な活躍として鈴鹿山の鬼を退治するものが加わった。複雑化した話では、田村麻呂は伊勢の鈴鹿山にいた妖術を使う鬼の美女である悪玉(あくたま)(説によるが鈴鹿御前)と結婚し、その助けを得て悪路王(あくろおう)や大武王(おおたけおう)のような鬼の頭目を陸奥の辺りまで追って討つ(人名と展開は様々である)。諸々の説話を集成・再構成したものとして、『田村草紙』などの物語、謡曲『田村』、奥浄瑠璃『田村三代記』が作られた。また、江戸時代の『前々太平記』にも収録される。

田村麻呂の創建と伝えられる寺社は、岩手県と宮城県を中心に東北地方に多数分布する。大方は、田村麻呂が観音など特定の神仏の加護で蝦夷征討や鬼退治を果たし、感謝してその寺社を建立したというものである。伝承は田村麻呂が行ったと思われない地にも分布する。京都市の清水寺を除いてほとんどすべてが後世の付託と考えられる。その他、田村麻呂が見つけた温泉、田村麻呂が休んだ石など様々に付会した物や地が多い。長野県の清水寺には、田村麻呂が奉納したと伝えられる鍬形(重要文化財)がある。